現代人に圧倒的に足りないものとは?

現代人に圧倒的かつ致命的に
不足しているものとは??

それは、鉄分でもカルシウムでもリアル飲み会でも運動でもなく、美容健康や老後生活、資産形成投資に関する基礎知識でもありません。圧倒的かつ致命的に不足しているもの。それは、、、

 

「考え型」です。

 

“考え方”ではなく“考え”です。一般的な“考え方”とは考える方向性や道筋、方法や傾向を意味しますが“考え型”とは文字通り型です。手本となる基本形を意味します。現代人は基本となる考えの型がすっぽり抜け落ちてしまっているのです。

考え型とは何か?

「型」をWikipediaで調べてみると

「武道・伝統芸能・スポーツなどで規範となる方式」

「ものを作るときに形をつくりだす もと になるもの」

「伝統や習慣として決まった形式→伝統、習慣」

このように記載されています。(武道では「形」とも表現されますが、便宜上それも同じ意味とします)型とは規範でもあり何かを作るときの“もと”になるものでもあり、代々受け継がれる伝統でもあります。

 

では、その型はどのようにして作られるのかと言うと長年の実践や研究から生まれた、いわば成功のエッセンスや奥義を凝縮してカタチ作られます。型が最初からあって奥義に辿り着くのではなく、気の遠くなる年月を経て奥義に辿り着きそれが型になるのです。ですので“型”とは基本であり、同時に奥義でもあるので。スタートであり同時にゴールでもあるのです。奥義とは真髄、極意という意味ですが、真髄や極意とは決して複雑なものではなく、言われてみれば「な~んだ、そんなこと当たり前じゃん!分かってるよ!」と拍子抜けするほどシンプルで理に適っているものばかりです。

理=ことわり

適う=ピッタリと適合する

理に適う=ことわりにピッタリ適合する

このことから奥義とは原理原則そのものであることが分かります。ですので基本である型(原理原則)から外れるものは何事もうまく行かないし当然、奥義にも辿り着けない。逆に原理原則に則った“型”さえ身に着ければ最短で奥義に辿り着けるのです。基本の型が無ければいつまで経ってもシンプルな答え(奥義)に辿り着けず悩み続ける、ということになります。

全ては基本=型にあり

現代において「型」という言葉は

・型にハマった考え方

・型にハマった生き方

このような使われ方をされていますのであまり良いイメージを持っている人は少ないかも知れませんが基本の型を知らずして、応用は絶対にあり得ません。野球のルールを知らずして試合に勝つなんて、あり得ませんよね?何事も基本という土台の上に応用が成り立ちます。一部の天才と言われるような人は基本をすっ飛ばして、一度見ただけ聞いただけで応用が出来たりするのかも知れませんが磨きをかけて追及すれば行きつく先は、やはり基本です。どんな天才でも結局は基本に立ち戻るのです。考え型という基本を知らずに成功はあり得ません。

 

基本=根っこ

「根っこ」がしっかりしていれば立派な幹になり、立派な葉をつけ雨風を凌げるような大きさにも成長します。強風や雪で枝が折れても、根っこさえしっかりしていれば大丈夫です。人も同じです。失敗しても、間違っても突然の不運に見舞われても「根っこ」がしっかりしていれば何度でもやり直せるし、何度でも立ち上がり、何度でも挑戦できます。

この世界には一見、立派な葉をつけて花を咲かせ華やかに見える人はいます。しかし、普段は見えない土の中はどうでしょう?目に見える部分が綺麗でも、目に見えない「根っこ」がしっかりしていないと、すぐに枯れてしまいます。栄養過多で根腐れを起こしてしまうこともあります。そうなると、やり直したり再挑戦するのも大変です。根にまつわる言葉を思い出せば分かります。根本、根幹、根底、根を下ろす、根差す、根付く、根をはる、、、

全て物事の基礎や本質的な意味合いを表す言葉ですよね。人も植物も同じで土台は根っこです。性根を腐らせてはなりません。

 

 

もし私達人間が植物よりも恵まれているとしたら、それは、自分の意思で、自分の選択で、自分の足で歩いて、根を張る場所(環境)を変えられることだと思います。このままでは根が腐ってしまうと思うのであれば、自らの意思で環境を変えられるのです。しかし、根を大きく張る為には時に自ら厳しい環境に身をさらすことも必要です。植物は厳しい環境の中では「決して倒れまい」としっかりとした根を張り太く、強く成長するものですが風も吹かず雪も降らない穏やかな気候に恵まれた環境では、しっかりとした根を張る必要性もありません。そうなると急激な環境の変化に弱い植物になってしまいます。これは私達人間にも言えることではないでしょうか?

 

 

令和に入り急激な変化の中を生きる私たちにとって最も大切なことはやはり、この基本となる「考え型」にあります。それが生きる根本なのです。「考え型」こそが生きる道筋を照らす羅針盤となるのです。

現代病「考え過多」

このようなことは、親も兄妹も友達も教えてくれません。当然、学校教育でも教わりませんし、社会人になってからも、このようなことを学ぶ機会は、ほぼありません。基本を学ばずに何となく学校を卒業し就職して社会人になると、これまでの自分とは全く違う生き方や価値観の人と触れ合う機会が圧倒的に増えます。それは時に刺激になりつつも、ほとんどの人は他人と比べて不安になり、迷い、悩み、時に自ら命を絶つ人もいます。ただでさえ今のネット社会では情報が溢れ返っていますが、スマホを常に携帯することで更に情報過多になり、基本の考え型を身に着ける以前に「考え過多」になり「選択肢が多すぎて何が正解なのか分からない。」「これから先、どのように生きて行けば良いのかが分からない。」「人生に迷っている。」現代はそのような人で溢れかえっている。そのように感じます。それも基本となる「型」がないからです。基本を身に着けていないということは、目的地も決めず、地図もコンパスも持たずに人生の航海に出るようなものです。その先どうなるかなんて、想像に難くないですよね。

 

正解を探す悪いクセ

私達は社会人になるまでの間、家庭・学校・塾などで親や教師から様々なことを学びますが、その内容を一言で表すなら「正解探し」だと思います。しかし、どうでしょう?社会に出て様々な人間関係に揉まれ人生経験を重ねれば重ねるほど「正解がない」ということに気付くのではないでしょうか?自分の人生という壮大な大地を歩むためには、まず「絶対的な正解はない」ということに気付かなければなりません。

 

 

どこかにあるであろう正解を探し求めるから考え過多になり悩み、苦しむのです。私達に必要なのは正解ではなく【原理原則・型】です。ありもしない正解を探すのではなく、原理原則という基本を身に着け原理原則という中心軸を持てば、悩むことも苦しむこともありません。自由という口当たりの良い言葉の罠にハマった自己流の考え方では決して、うまく行きません。自己流の考え方ではなく原理原則に基づく「考え型」が必要です。正解がないことに対する免疫力を付けるのであれば、ワクチンではなく「型」を持つことです。

自己中心をやめる

自己を中心に判断するのではなく

原理原則を中心に判断することで

全ての問題は解決します。

 

自分の好み、自分の理想、自分の期待を中心に考えるのではなく、原理原則に“当てはめて”考えてみればいいのです。そうすれば如何なる場面でも「どうすればいいのか?」なんてことは、すぐに分かります。自己流に当てはめるから悩み、苦しみ、迷うのです。それでは遠回りしすぎです。原理原則に基づく「考え型」は長年受け継がれてきた伝統であり手本でもあり全ての基本でもあります。そして、型とは物事を追求し辿り着いた先の奥義を凝縮して生まれたものです。まずは生きる基本となる「考え型」を学び実践して身に着けていきましょう。そして、どんな雨にも風にも、どんな困難にも挫けない大きな大きな力強い根を張っていきましょう。自らの意思で、足で環境を選択できる自由さまでも併せ持つ最強の根っこを育てましょう。そのとき、あなたは人生を自然体で思い通りに自由に生きることができます。伝統的でありつつも全く新しく自然体で自由な全てに調和した生き方を体現することでしょう。

 

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